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第22回定例研究会のお知らせ

■ 第22回定例研究会(在日コリアン青年連合(key)との共催)
日時:3月21日(月)10:00~17:00ごろ
内容:「生駒山麓に朝鮮人の足跡をたどる~旧生駒トンネル・朝鮮寺・額田の針金~」
案内:塚崎昌之さん
※10:00に近鉄「新石切駅」集合、17:00頃解散、鶴橋で2次会(予定)
※参加される方は事前に予約が必要となります。
※先着10名程度とさせていただきます。

連絡先:kocoken2009@gmail.com
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第21回定例研究会の報告

 2月26日(土)に大阪市立大学都市研究プラザ大淀プラザで開催された第21回定例研究会について報告いたします。今回は大阪市立大学大学院創造都市研究科の梁優子さんに「1950年代、ある在日朝鮮人女性の生活戦略」というタイトルで報告いただきました。当日の参加者は11名でした。

 梁さんは、大学卒業後、さまざまな民族差別撤廃運動に関わる中、八尾のトッカビ子ども会や高槻むくげの会の指導員や小学校教員、そして在日コリアン人権協会事務局員を経験し、現在は老人ホームの生活相談員として勤務する傍ら、大阪市大創造都市研究科で研究生活を行っています。研究活動に携わった理由として、これまで様々な運動や研究の中で、在日朝鮮人1世女性たちの存在や生活史がジェンダー的視点を踏まえて言語化されてこなかったもどかしさを感じ、梁さんは研究を行なうことを決めたということでした。梁さんが現在進めている博士論文の研究テーマは、植民地主義やエスニックな家父長制のなか不可視化されてきた「在日1世女性の生活世界」をきっちりと読み解くことであります。

 今回の研究会では、主に在日朝鮮人女性一世の戦後の生活、とりわけ1950年代前半の経験が取り上げられました。具体的には、「戦後、夫を追ってきたら、すでに同居する日本人女性がいた」という「よくある話」を対象に、その背後にはなにがあるか、デイサービスで出会ったある1世の女性の語りを分析材料に、エスニシティ・ナショナリティ・ジェンダーという複合的な視角から解釈することが目指されたものでありました。
 まず、1930年代初頭、6歳の時に父親に呼び寄せられて渡日したインフォーマントのライフストーリー概要が説明されました。1944年18歳で結婚、その後5人の子ども出産、戦後、一旦、子どもを連れて忠清道に帰郷するが、日本(兵庫県西脇市)に戻ると、夫はインフォーマントの実母の経営する焼肉屋を手伝うなか、そこで働いていた日本人女性(戦争未亡人でシングルマザー)と親密になっており、「二人妻同居生活」を送ることになったとのことです。その後、夫は日本人妻と共同で売春宿(通称「パンパン屋」)を経営し家計は安定するが、数年後、夫に仕事が見つかり、夫は日本人妻と別離、「二人妻同居生活」は終りを迎え、その後、このインフォーマント家族は八尾市に転居し、家族総出ででミシン縫工に従事するなか、40 年以上そこで暮らすことになったということでした。
 梁さんは、在日朝鮮人をめぐって激動であった、戦後から1950年代前半という時期における、こうした「二人妻同居生活」は、個人的な問題だけではなく、歴史的社会構造が根底に存在していたことを踏まえる必要があると述べられました。たとえば、夫が失業状態の中、焼肉屋の手伝いをせざるを得ない当時の在日朝鮮人をめぐる経済状況や戦争で夫をなくした日本人シングルマザーが、朝鮮人への差別意識が根強い中にあって、あえて在日の経営する焼肉屋を選ばざるをえない状況、さらには「パンパン屋」を経営しなければならない状況など、当時の社会構造の存在があげられました。
 そして、インフォーマントがこうした「二人妻共同生活」を受入れざるを得ない理由にも触れられ、実母の経営する焼肉屋には欠かせなかった夫とは離婚することが出来なかったこと、そして「パンパン屋」の経営以降は、家計も安定し、さらには日本妻が家事全般を引き受けていたため、個人的にはかなり自由な生活を送れていたことがあげられました。もちろん、夫にはこうしたもどかしい状況を激烈な怒りを持って非難することはあっても、貧困と国家による抑圧とエスニックな家父長制においては、目の前の生活の現実に自己を適応させ、自らを変容させるしかなかったということだそうです。そして、戦後における社会的混乱期での「よくある話」と表されるこうした状況は、また一方で、寄る辺なき人々が独自の方法で関係性を築き、半永久的な失業による生活破壊に対峙する葛藤や矛盾を呑み込みながら、協同の生活を積み上げていく「生活戦略」の側面であったとも指摘されました。そこでは、必ずしもエスニシティやジェンダー、ナショナリティが固定化されているのではなく、インフォーマントと夫、日本人妻の関係性はそれぞれ偶有的、恣意的に結びついていたとも触れられました。

 以上の報告に対して、参加者からは、こうした当時の「二人妻共同生活」に対して、朝鮮半島に旧来の婚姻制度との関係や戦争未亡人に対する軍人恩給制度の適用など、他にも背景が存在することが指摘されました。そして、地域社会という観点を導入することも提案され、たとえば彼女たちが暮らした地域は在日朝鮮人集住地区なのか否か、そして「パンパン屋」の経営が繁盛した理由などを見ていけば、当時の在日朝鮮人女性の状況をより深く解明 することができるのではないかという事で議論となりました。
 
 今回の報告の内容は、これまで一般的に在日1世女性たちにとって「よくある話」ということで整理されてきたものではありますが、そう語られることで、その内部における様々な状況、特に在日女性の抑圧的な状況を曖昧なものにされており、彼女たちにある種の「諦め」を押し付けていた側面もあると思います。梁さんの研究は、そうした状況を様々な観点から整理しなおすことで、ある種の「解放」を目指すものと言えるかもしれません。そし て、今回の梁さんの報告は、研究会で進めている「龍王宮の記憶の記録するプロジェクト」にも多くの示唆を与えていただけたと思っています。在日1 世女性の生活史に付随する様々な抑圧的な状況、そのなかでも様々な方法で関係性を築きながら、時にしたたかに生きる姿、これは龍王宮に通った方々にもきっと共通することだと思います。
プロフィール

kocoken2009

Author:kocoken2009
こりあんコミュニティ研究会は、こりあんコミュニティにおける生活と文化への理解を高めつつ、当該地域コミュニティの再生のあり方について議論しながら、日本国内に限らず共同調査及び研究を行っていくグループです。
問合せ先:kocoken2009@gmail.com

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