第31回定例研究会報告
テーマ:「浜松市における滞日ブラジル人の研究の報告」
報告者:白波瀬達也氏(大阪市立大学都市研究プラザ博士研究員)
日 時:11月6日(火)19:00~
場 所:大阪市立大学都市研究プラザ「西成プラザ」
白波瀬氏には当日「カトリック教会による滞日外国人支援の社会学的考察―カトリック
浜松教会の実践を事例にー」という演題でご発表いただいた。参加者10名。
白波瀬氏の専門は宗教社会学で、宗教を基板としたホームレス支援の研究、コミュニテイソーシャルワークの仕事を通じて、最近では地域福祉学に関心を持っているという。
以下レジュメと録音に沿っての報告である。
今回の報告は、第1にリーマンショック以降ブラジル人がどのような経済的危機を被ったのか、行政がそれに対してどのように対応したのか、第2にカトリック浜松教会が社会制度の隙間を埋めるようなかたちで行った南米系外国人支援の概要を報告するものである。
まず移民にとっての宗教の役割であるが、宗教には挑戦的機能、抑圧に対して戦うという機能(例えば韓国の民衆の神学、フィリピンの解放の神学)と、困難な状況を受け入れて当該社会に適応させていく慰めの機能という両面がある。また宗教には前の生活から新しい生活への橋渡し機能と、その一部としての親密性の高い気密室機能がある。最近ではパットナムによるソーシャル・キャピタル(社会関係資本)としての宗教、多様性を持った宗教という概念も出されている。
浜松では1990年の入管法の改正により工場労働者として日系外国人を導入する事により、外国人とりわけブラジル人が右肩上がりで増加してきた。しかし浜松における外国人登録者数の推移では、2008年秋のリーマンショック以降減少傾向を示している。これはリーマンショックの影響であると共に、2009年「帰国支援事業」による帰国費用の一部負担が実施されて帰国者が増加したからだと考えられる。浜松市における外国人登録者数(2011年9月閲覧)は全体で25,826人、その内訳はブラジル12,879人、フィリピン2,975人、ペルー2,094人、韓国1,393人、その他であって、ブラジル人が全体の50%を占めている。彼らの雇用状態の多くは間接雇用であり(直接雇用は20%以下)、月収は14~16万円で20万円以下が全体の60%を占める。低賃金・非正規で自動車・オートバイの製造業等で働き生活は楽ではない。彼らの定住に対する志向は、1990年代は非定住が多く、その後10年間仕事をして定住志向を持つものも現れてきたが、いつかはブラジルに帰りたいとの思いを持つ人達にとっては地域とつながる必然性がなく、顔の見えない定住化、地域社会で知られていない存在として在った。この人達にとって教会は信仰と共に、就労、就学、住居、行政資源、民間サポート支援などの情報を得る生活の場でも在った。
次に浜松でのハローワークの外国人コーナー統計をみて見る。そこでの職業相談件数(月平均)は2007年200人前後であったものが、2008年1,594人(失業数の増加)、2009年4,154人に急増、2010年1,627人に減ってきている。新規求職申込件数は2008年に急増して2010年に減っている。有効求人倍率は2010年には0.49で2008年の半減である。景気が悪くなっているのに相談件数や求職申込件数が減っているのは、就労が増えて減ったのではなく、生活保護が適用されてきたと言うことなのである。失業と生活保護の適用にタイムラグがあり、この隙間にカトリック浜松教会の果たした役割があったのである。
リーマンショックの後、浜松では多くの外国人が失業し住居を喪失した。この事態に対して行政の対応は緩慢であった。すぐ必要になる生活保護は申請主義であり、市役所へ行って審査され、その後適用される。しかしこの間には複雑なやり取りが必要であり、高い日本語能力も要求される。それに対して役所は丁寧に対応しない。この事によって生活保護の適用がされにくく、浜松市では失業者対策が十分には行われなかった。しかし、カトリック浜松教会は外国人の日常生活を把握しており、すぐに対応することが可能であった。
彼らは失職外国人の生活問題に対応して、各種手続き(雇用保険、生活保護、休業手当、納税、労災、健康保険)や育児、住宅、就職への相談を行った。これらの活動には、高度な日本語能力が必要なため、ブラジル人やペルー人のスタッフと日本人スタッフが合同で行った。また失職外国人約500世帯以上に対する食糧支援も行った(2008年11月~2010年10月)。
約2年間、一教会による大規模な外国人支援を可能にしたものはなにか。それを理解するためには、まずこの教会の成り立ちから見る必要がある。カトリック浜松教会は1993年ポルトガル語のミサを開始し、2005年よりコミュニティごとに時間を分離して同一の場所でミサを行うようになった。一つの教会をシェアーして、エスニックグループがそれぞれ活動を開始したのである。ブラジル人は1990年代より自分達の仲間のためにホームレス支援を浜松駅で開始したが、実際はブラジル人による日本人ホームレスの支援になり、日本人信者もほっておけないと言うことでブラジル人と共同で活動を始めたという経緯がある。すでに一定の共同作業が存在していたのである。また長期間の外国人支援を可能にしたもう一つの理由にはカトリック教会の存在がある。カトリックは組織規模が大きく世界的ネットワークがあり、国内外から物資を集める能力が高い。近年ブラジルにおいてはプロテスタントが増加してカトリックが減少する傾向であるが、プロテスタントはエスニック教会をつくる傾向があり、本国でのやり方や言語を用いて親密性の高いものをつくり、外部との結合が乏しいが、癒しの場としての意味が高い。カトリックはプロテスタントと比較すると外部に開かれており資金や物資の集合力が高い。今回の支援活動において、日本人信者が果たした経済的・人的サポートの役割は大きかった。この事を通じて教会内における日本人と外国人の積極的交流が発生し、協同が芽生えた。
また就学支援が行われた。もともとブラジル人の不就学率は高かった。途中で日本に呼び寄せられた子供は、日本語の修得が難しく不登校になるケースが少なくない。親の経済状況が脆弱であったり、学力が不足するために高校に進学しない者も多い。定住志向のある家庭の子供は公立校に通わせるが、定住志向のない家庭の子供は外国人学校(ブラジル人学校)に通わせる。だがその場合は高額な学費負担が重くのしかかるようになった。このような状態はリーマンショック後拍車がかかり教育機会にアクセスすることがさらに難しくなった。そこでカトリック浜松教会はこども達の就学支援を行った(2009年2月~2010年12月)。教会の一室を使って、ブラジル人や日本人が教師となって教える。日本人の信者がボランティアで昼食を準備し車で送迎を行う。結果として100人を超えるブラジル人師弟が受講し、そのうち約20人が公立学校に入学・編入した。この就学支援は3期のプロジェクトとして行われた。第1期は2009年2月~3月の1ヶ月間だけ公費を利用して行い、第2期は2009年4月~2010年3月まで、日本の公立学校への入学を主目的とした自主財源による活動であった。第3期は2010年4月~12月まで、ブラジル帰国後のスムースな就学移行を主目的としたブラジル政府の公認を受けた就学支援を行った。
<結論と課題>
カトリック浜松教会の活動は政府・自治体の対応が整備されることで役割を終える事になった。この滞日外国人支援は緊急的なものであり、政府・自治体の役割を補完するものとしてあった。だが依然として滞日外国人の経済状況は変わっておらず、子供の不就学はなくなっていないので、活動の継続も考えられたのに終了している。一方、福岡市の日系ペルー人支援や札幌の外国人支援は継続している。どういうときに継続してどういうときに終了するのか。宗教団体の社会問題への参加の仕方として今後も考えていきたい。
参考文献
白波瀬達也・高橋典史2012「日本におけるカトリック教会とニューカマー -カトリック浜松教会における外国人支援を事例にー」三木英・櫻井義秀編『日本に生きる移民たちの宗教生活』ミネルヴァ書房
(文責 岩山)
報告者:白波瀬達也氏(大阪市立大学都市研究プラザ博士研究員)
日 時:11月6日(火)19:00~
場 所:大阪市立大学都市研究プラザ「西成プラザ」
白波瀬氏には当日「カトリック教会による滞日外国人支援の社会学的考察―カトリック
浜松教会の実践を事例にー」という演題でご発表いただいた。参加者10名。
白波瀬氏の専門は宗教社会学で、宗教を基板としたホームレス支援の研究、コミュニテイソーシャルワークの仕事を通じて、最近では地域福祉学に関心を持っているという。
以下レジュメと録音に沿っての報告である。
今回の報告は、第1にリーマンショック以降ブラジル人がどのような経済的危機を被ったのか、行政がそれに対してどのように対応したのか、第2にカトリック浜松教会が社会制度の隙間を埋めるようなかたちで行った南米系外国人支援の概要を報告するものである。
まず移民にとっての宗教の役割であるが、宗教には挑戦的機能、抑圧に対して戦うという機能(例えば韓国の民衆の神学、フィリピンの解放の神学)と、困難な状況を受け入れて当該社会に適応させていく慰めの機能という両面がある。また宗教には前の生活から新しい生活への橋渡し機能と、その一部としての親密性の高い気密室機能がある。最近ではパットナムによるソーシャル・キャピタル(社会関係資本)としての宗教、多様性を持った宗教という概念も出されている。
浜松では1990年の入管法の改正により工場労働者として日系外国人を導入する事により、外国人とりわけブラジル人が右肩上がりで増加してきた。しかし浜松における外国人登録者数の推移では、2008年秋のリーマンショック以降減少傾向を示している。これはリーマンショックの影響であると共に、2009年「帰国支援事業」による帰国費用の一部負担が実施されて帰国者が増加したからだと考えられる。浜松市における外国人登録者数(2011年9月閲覧)は全体で25,826人、その内訳はブラジル12,879人、フィリピン2,975人、ペルー2,094人、韓国1,393人、その他であって、ブラジル人が全体の50%を占めている。彼らの雇用状態の多くは間接雇用であり(直接雇用は20%以下)、月収は14~16万円で20万円以下が全体の60%を占める。低賃金・非正規で自動車・オートバイの製造業等で働き生活は楽ではない。彼らの定住に対する志向は、1990年代は非定住が多く、その後10年間仕事をして定住志向を持つものも現れてきたが、いつかはブラジルに帰りたいとの思いを持つ人達にとっては地域とつながる必然性がなく、顔の見えない定住化、地域社会で知られていない存在として在った。この人達にとって教会は信仰と共に、就労、就学、住居、行政資源、民間サポート支援などの情報を得る生活の場でも在った。
次に浜松でのハローワークの外国人コーナー統計をみて見る。そこでの職業相談件数(月平均)は2007年200人前後であったものが、2008年1,594人(失業数の増加)、2009年4,154人に急増、2010年1,627人に減ってきている。新規求職申込件数は2008年に急増して2010年に減っている。有効求人倍率は2010年には0.49で2008年の半減である。景気が悪くなっているのに相談件数や求職申込件数が減っているのは、就労が増えて減ったのではなく、生活保護が適用されてきたと言うことなのである。失業と生活保護の適用にタイムラグがあり、この隙間にカトリック浜松教会の果たした役割があったのである。
リーマンショックの後、浜松では多くの外国人が失業し住居を喪失した。この事態に対して行政の対応は緩慢であった。すぐ必要になる生活保護は申請主義であり、市役所へ行って審査され、その後適用される。しかしこの間には複雑なやり取りが必要であり、高い日本語能力も要求される。それに対して役所は丁寧に対応しない。この事によって生活保護の適用がされにくく、浜松市では失業者対策が十分には行われなかった。しかし、カトリック浜松教会は外国人の日常生活を把握しており、すぐに対応することが可能であった。
彼らは失職外国人の生活問題に対応して、各種手続き(雇用保険、生活保護、休業手当、納税、労災、健康保険)や育児、住宅、就職への相談を行った。これらの活動には、高度な日本語能力が必要なため、ブラジル人やペルー人のスタッフと日本人スタッフが合同で行った。また失職外国人約500世帯以上に対する食糧支援も行った(2008年11月~2010年10月)。
約2年間、一教会による大規模な外国人支援を可能にしたものはなにか。それを理解するためには、まずこの教会の成り立ちから見る必要がある。カトリック浜松教会は1993年ポルトガル語のミサを開始し、2005年よりコミュニティごとに時間を分離して同一の場所でミサを行うようになった。一つの教会をシェアーして、エスニックグループがそれぞれ活動を開始したのである。ブラジル人は1990年代より自分達の仲間のためにホームレス支援を浜松駅で開始したが、実際はブラジル人による日本人ホームレスの支援になり、日本人信者もほっておけないと言うことでブラジル人と共同で活動を始めたという経緯がある。すでに一定の共同作業が存在していたのである。また長期間の外国人支援を可能にしたもう一つの理由にはカトリック教会の存在がある。カトリックは組織規模が大きく世界的ネットワークがあり、国内外から物資を集める能力が高い。近年ブラジルにおいてはプロテスタントが増加してカトリックが減少する傾向であるが、プロテスタントはエスニック教会をつくる傾向があり、本国でのやり方や言語を用いて親密性の高いものをつくり、外部との結合が乏しいが、癒しの場としての意味が高い。カトリックはプロテスタントと比較すると外部に開かれており資金や物資の集合力が高い。今回の支援活動において、日本人信者が果たした経済的・人的サポートの役割は大きかった。この事を通じて教会内における日本人と外国人の積極的交流が発生し、協同が芽生えた。
また就学支援が行われた。もともとブラジル人の不就学率は高かった。途中で日本に呼び寄せられた子供は、日本語の修得が難しく不登校になるケースが少なくない。親の経済状況が脆弱であったり、学力が不足するために高校に進学しない者も多い。定住志向のある家庭の子供は公立校に通わせるが、定住志向のない家庭の子供は外国人学校(ブラジル人学校)に通わせる。だがその場合は高額な学費負担が重くのしかかるようになった。このような状態はリーマンショック後拍車がかかり教育機会にアクセスすることがさらに難しくなった。そこでカトリック浜松教会はこども達の就学支援を行った(2009年2月~2010年12月)。教会の一室を使って、ブラジル人や日本人が教師となって教える。日本人の信者がボランティアで昼食を準備し車で送迎を行う。結果として100人を超えるブラジル人師弟が受講し、そのうち約20人が公立学校に入学・編入した。この就学支援は3期のプロジェクトとして行われた。第1期は2009年2月~3月の1ヶ月間だけ公費を利用して行い、第2期は2009年4月~2010年3月まで、日本の公立学校への入学を主目的とした自主財源による活動であった。第3期は2010年4月~12月まで、ブラジル帰国後のスムースな就学移行を主目的としたブラジル政府の公認を受けた就学支援を行った。
<結論と課題>
カトリック浜松教会の活動は政府・自治体の対応が整備されることで役割を終える事になった。この滞日外国人支援は緊急的なものであり、政府・自治体の役割を補完するものとしてあった。だが依然として滞日外国人の経済状況は変わっておらず、子供の不就学はなくなっていないので、活動の継続も考えられたのに終了している。一方、福岡市の日系ペルー人支援や札幌の外国人支援は継続している。どういうときに継続してどういうときに終了するのか。宗教団体の社会問題への参加の仕方として今後も考えていきたい。
参考文献
白波瀬達也・高橋典史2012「日本におけるカトリック教会とニューカマー -カトリック浜松教会における外国人支援を事例にー」三木英・櫻井義秀編『日本に生きる移民たちの宗教生活』ミネルヴァ書房
(文責 岩山)
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