第35回定例研究会報告
こりあんコミュニティ研究会第35回定例研究会報告 2013年8月28日
テーマ:「民族まつり/マダンの展開と研究の現況」
報告者:飯田剛史氏(大谷大学)
テーマ:「スライドで見る民族まつり/マダンの系譜」
報告者:藤井幸之助氏(同志社大学嘱託講師)
日時:2013年8月3日(土)15:30~18:30
場所:大阪市立大学都市研究プラザ「西成プラザ」 参加者:15人
今回は「民族まつり/マダン」を大きなテーマに採り上げお二人の方にお話いただいた。
はじめに「民族まつり/マダン開始年表」(作成:藤井幸之助、2013年7月26日)を御示
頂いた。そして、14の「民族まつり/マダン」のケースについて、スライドを見ながら藤井幸之助氏に解説していただいた。そこには出演者も参加者も和気あいあいとした雰囲気がかもし出されており、その求める所が理解しやすいものだった。またその中で藤井氏が2010年に暫定的にまとめた「民族まつり/マダン」の類型化が次のように説明された。
在日朝鮮人主導型(生野民族文化祭、長田マダン)、在日朝鮮人教育型(ウリ高校奨学生文化祭、神戸オリニマダン)、在日朝鮮人・日本人共同型(東九条マダン、東播磨マダン)、自治体・市民協同人権啓発型(みのおセッパラム、伊丹マダン)、国際交流フェスティバル型(東大阪国際交流フェスティバル、八尾国際交流野遊祭)、民族団体型(統一マダン生野、統一マダン神戸、大阪ハナマトゥリ〔民団・総連共催〕、十月マダン〔民団〕)、民族学校文化祭型(朝高祝祭、建国ナンジャン、コリア国際学園学園祭)、民族系企業主導型(四天王寺ワッソ)、商店街主導型(生野コリアタウン共生まつり、南京町春節〔神戸〕、中華街春節〔横浜〕、リトル釜山フェスタ〔下関〕)、観光誘致型(厳原港まつり、対馬アリラン祭、長崎ランタンフェスティバル)、特定エスニックグループ主導型(祝八尾テト〔ベトナム人〕、その他ブラジル人・ペルー人・カトリックの人達のおまつり)
ただし、これらは厳密に分けられるものではなく、複数の要素を含むものであること、今後より適切に整理していくと言われた。
次に飯田剛史氏にお話いただいた。
飯田氏は「民族まつり/マダン」を「民族を中心テーマにして、公共の場で行うおまつり」
と定義し、その後の展開に大きな影響を与えた1983年生野民族文化祭をとりあげた。生
野民族文化祭はマダン型で農楽(プンムル)を中心演目にしたお祭りだった。次に1985年ワンコリアフェスティバルとりあげ、在日と在日の友人達で広いかたちでやる、朝鮮半島の南北統一と在日の中での南北統一を目的にするが、面白い事をやろうという事で始まったとお話された。3番目には1990年四天王寺ワッソを紹介して、金融機関の会長が若者に歴史を知ってもらおうと開始した、その後在日のまつりから大阪のまつりへ脱皮した、と言われた。3つともそれぞれ違うスタイルをとっているが、少数の思いつきが周囲を巻き込んで文化運動として根付いている事が興味深いと話された。民族まつりは90年代には京阪神へと拡大して行く。原型は生野民族文化祭であり、もともと在日のお祭りという事で日本人や日本籍コリアンもスタッフに加えないで始まったが、90年代になると日本人もスタッフとして参加してくる。その他ブラジル、ペルー、フィリピン出身者も加わってきた。民族まつりも多様化してきて、現在では在日コリアン主導型は減ってきてニューカマー参加型が拡大して来ている、と言われた。これら民族まつり/マダンの集約点が2012年「民族まつり/マダン全国交流シンポジウム」であった。21団体が報告、40団体がアンケートに回答、78名が出席した。
次に民族まつりの「まつり」性について話された。「まつり」性には、祝祭性、象徴表現による「民族」の現在化、報酬のない無償性、社会運動性、歴史性、地域性として語られた。その中心である祝祭性については、「見るだけでなく参加者も一緒に踊る、日常の自分から出て普段の自分でない自分を知る、『打ち上げ会』で盛り上がりスタッフを結びつける、そしてやみつきになる」と説明された。
さらに全国交流シンポジウムのテーマであった地域性と多文化共生について話された。民族まつりの地域性として①地域密着型-生野、長田など多数②広域型-大阪くらいの範囲、ワンコリアフェスティバル、四天王寺ワッソなど③地域拠点型-東九条マダン(研究論文多数)について話された。民族まつりと「多文化共生」については、時代背景と民族まつりの位置、「多文化共生」についてどう考えるかと言うものであった。飯田氏は、「20世紀後半には『寛容』『反差別』の世界的流れが有ったが、21世紀になって『排外』『差別』の風潮が強まってきた、その中で民族まつりはもともと民族マイノリティのカウンターカルチャーとして出発したが、自治体からの助成を獲得して民族祭りの公共性が承認され、また民族的マイノリティ政策の国家的承認(2006年総務庁『多文化共生推進プログラム』)が行なわれてきた。2010年以降の排外主義動向のなかで『多文化共生』は貴重な拠点性を有する」と話された。
最後に研究動向について話された。研究論文・関連記事は90編ほど出ている。傾向としては運動論、エスニシティ論、地域福祉論、政治性論、祝祭論、多文化共生論、地域論などであることが報告された。
その後会場からの意見が述べられた。1983年の生野民族文化祭は、光州事件(1980年)や国内での指紋押捺拒否闘争などに当然影響を受けていた。当時を知る方からは、民族まつりは「自分の存在をかけた運動で、参加者には切迫性があった」と報告された。 以上。 文責:岩山
テーマ:「民族まつり/マダンの展開と研究の現況」
報告者:飯田剛史氏(大谷大学)
テーマ:「スライドで見る民族まつり/マダンの系譜」
報告者:藤井幸之助氏(同志社大学嘱託講師)
日時:2013年8月3日(土)15:30~18:30
場所:大阪市立大学都市研究プラザ「西成プラザ」 参加者:15人
今回は「民族まつり/マダン」を大きなテーマに採り上げお二人の方にお話いただいた。
はじめに「民族まつり/マダン開始年表」(作成:藤井幸之助、2013年7月26日)を御示
頂いた。そして、14の「民族まつり/マダン」のケースについて、スライドを見ながら藤井幸之助氏に解説していただいた。そこには出演者も参加者も和気あいあいとした雰囲気がかもし出されており、その求める所が理解しやすいものだった。またその中で藤井氏が2010年に暫定的にまとめた「民族まつり/マダン」の類型化が次のように説明された。
在日朝鮮人主導型(生野民族文化祭、長田マダン)、在日朝鮮人教育型(ウリ高校奨学生文化祭、神戸オリニマダン)、在日朝鮮人・日本人共同型(東九条マダン、東播磨マダン)、自治体・市民協同人権啓発型(みのおセッパラム、伊丹マダン)、国際交流フェスティバル型(東大阪国際交流フェスティバル、八尾国際交流野遊祭)、民族団体型(統一マダン生野、統一マダン神戸、大阪ハナマトゥリ〔民団・総連共催〕、十月マダン〔民団〕)、民族学校文化祭型(朝高祝祭、建国ナンジャン、コリア国際学園学園祭)、民族系企業主導型(四天王寺ワッソ)、商店街主導型(生野コリアタウン共生まつり、南京町春節〔神戸〕、中華街春節〔横浜〕、リトル釜山フェスタ〔下関〕)、観光誘致型(厳原港まつり、対馬アリラン祭、長崎ランタンフェスティバル)、特定エスニックグループ主導型(祝八尾テト〔ベトナム人〕、その他ブラジル人・ペルー人・カトリックの人達のおまつり)
ただし、これらは厳密に分けられるものではなく、複数の要素を含むものであること、今後より適切に整理していくと言われた。
次に飯田剛史氏にお話いただいた。
飯田氏は「民族まつり/マダン」を「民族を中心テーマにして、公共の場で行うおまつり」
と定義し、その後の展開に大きな影響を与えた1983年生野民族文化祭をとりあげた。生
野民族文化祭はマダン型で農楽(プンムル)を中心演目にしたお祭りだった。次に1985年ワンコリアフェスティバルとりあげ、在日と在日の友人達で広いかたちでやる、朝鮮半島の南北統一と在日の中での南北統一を目的にするが、面白い事をやろうという事で始まったとお話された。3番目には1990年四天王寺ワッソを紹介して、金融機関の会長が若者に歴史を知ってもらおうと開始した、その後在日のまつりから大阪のまつりへ脱皮した、と言われた。3つともそれぞれ違うスタイルをとっているが、少数の思いつきが周囲を巻き込んで文化運動として根付いている事が興味深いと話された。民族まつりは90年代には京阪神へと拡大して行く。原型は生野民族文化祭であり、もともと在日のお祭りという事で日本人や日本籍コリアンもスタッフに加えないで始まったが、90年代になると日本人もスタッフとして参加してくる。その他ブラジル、ペルー、フィリピン出身者も加わってきた。民族まつりも多様化してきて、現在では在日コリアン主導型は減ってきてニューカマー参加型が拡大して来ている、と言われた。これら民族まつり/マダンの集約点が2012年「民族まつり/マダン全国交流シンポジウム」であった。21団体が報告、40団体がアンケートに回答、78名が出席した。
次に民族まつりの「まつり」性について話された。「まつり」性には、祝祭性、象徴表現による「民族」の現在化、報酬のない無償性、社会運動性、歴史性、地域性として語られた。その中心である祝祭性については、「見るだけでなく参加者も一緒に踊る、日常の自分から出て普段の自分でない自分を知る、『打ち上げ会』で盛り上がりスタッフを結びつける、そしてやみつきになる」と説明された。
さらに全国交流シンポジウムのテーマであった地域性と多文化共生について話された。民族まつりの地域性として①地域密着型-生野、長田など多数②広域型-大阪くらいの範囲、ワンコリアフェスティバル、四天王寺ワッソなど③地域拠点型-東九条マダン(研究論文多数)について話された。民族まつりと「多文化共生」については、時代背景と民族まつりの位置、「多文化共生」についてどう考えるかと言うものであった。飯田氏は、「20世紀後半には『寛容』『反差別』の世界的流れが有ったが、21世紀になって『排外』『差別』の風潮が強まってきた、その中で民族まつりはもともと民族マイノリティのカウンターカルチャーとして出発したが、自治体からの助成を獲得して民族祭りの公共性が承認され、また民族的マイノリティ政策の国家的承認(2006年総務庁『多文化共生推進プログラム』)が行なわれてきた。2010年以降の排外主義動向のなかで『多文化共生』は貴重な拠点性を有する」と話された。
最後に研究動向について話された。研究論文・関連記事は90編ほど出ている。傾向としては運動論、エスニシティ論、地域福祉論、政治性論、祝祭論、多文化共生論、地域論などであることが報告された。
その後会場からの意見が述べられた。1983年の生野民族文化祭は、光州事件(1980年)や国内での指紋押捺拒否闘争などに当然影響を受けていた。当時を知る方からは、民族まつりは「自分の存在をかけた運動で、参加者には切迫性があった」と報告された。 以上。 文責:岩山
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