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第24回定例研究会報告

6月16日(木)に大阪市立大学都市研究プラザ大淀プラザで第24回定例研究会が開催されました。今回は大阪市立大学院生の全ウンフィさんに「コミュニティにおける場所―コミュニティにおける場所―ウトロ地区のローカルイメージの変遷過程」というタイトルで報告していただきました。当日の参加者は15名でした。
 
 報告内容はウトロ地区と地区の周辺地域(ローカルエリア)の間に存在する隔たりに関するものでした。今までのウトロ地区の研究や、それに関連する在日朝鮮人不法占拠地区に対する研究では、地区の特徴や形成―在日が不法占拠状態に置かれざるを得なかった理由―に焦点がおかれ、地区内の住民と地区外の住民の間に存在する人的関係の隔たりについては、言及されることはあっても、研究対象としては扱われてきませんでした。しかしこの問題はウトロ地区や伊丹市中村地区、京都市東九条旧0番地など、不法占拠状態から環境整備に進むことができたコリアンコミュニティでは、住民の意識からしてもけっして無視できる問題ではありませんでした。実際、2009年と2010年にウトロで実施された調査結果やインタビューの中でも、「在日」的要素よりは「ウトロを周辺に知ってもらいたい」という意見が多数聞かれています。そこで報告者は環境整備のための実態調査などを手伝いながら、このような問題に気づき、修士論文の主題としてこの問題に取り組んだそうです。
 アプローチの方法としては、タイトルに上がっている「場所」の意味が関連してきますが、地区(一定の空間)に対する地区内外の住民の認識・イメージの違いを「形成されたもの」、そして地域の中で多様な反応を起こしながら「維持されてきた」という観点から調査が進められたようです。したがって、調査の内容は大きく以下の三つ、1)地区内外の形成過程、2)ローカルイメージの変遷過程、3)近年(ウトロ問題以後)の変化に注目しています。
 結論としては、周辺地域は1960年代の都市化により急激に成長した一方で、ウトロ地区は戦前の植民地政策の遺産が清算されないまま同一エリアに存在してきたと指摘されました。さらに、両者の異なる形成過程は経済的・生活インフラの格差に影響を与えていますが、いわゆる「差別」、住民間の乏しい人的交流にも表れ、その背景として負のイメージが地区に古くから存在してきたと論じられました。このような事象はインタビューや教育施設の資料からもみられましたが、具体的にどのような情報源があり、いかなるイメージで扱われてきたかを通時的にみるために、地方紙『洛南タイムス』の記事内容分析が実施されました。そこではウトロは1950~60年代に集中的に報道がなされていることが明らかということです。そして、その大部分の内容が現在まで続く「負のイメージ」と関連していると指摘されました。ただ、再び記事量が激増する1980年代後半以降のウトロ問題以後は、地区内の住民と周辺地域外の支援者・ヴィジターの交流についての記事が多く見られることもあげられました。

 報告後の質疑応答では、ウトロ問題に直接・間接的に関与してきた方々から意見が提示されました。報告者が韓国人留学生という点もあり、韓国における状況を踏まえた視点が必要であること、新聞記事を用いて分析する際の代表性の問題(新聞記事という媒体の特性と記事の分析だけで言説を代表して言えるか)、それと関連してライフヒストリーや実態調査をより多く反映する必要があることなどが議論されました。
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Author:kocoken2009
こりあんコミュニティ研究会は、こりあんコミュニティにおける生活と文化への理解を高めつつ、当該地域コミュニティの再生のあり方について議論しながら、日本国内に限らず共同調査及び研究を行っていくグループです。
問合せ先:kocoken2009@gmail.com

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