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第27回定例研究会報告

こりあんコミュニティ研究会・第27回定例研究会報告  

 テーマ:奄美 異化と同化のあらがい
     ーうた<シマウタ・詩>にこめられた“記憶”からさぐるー
 発表者:大橋愛由等 
(FMわいわい「南の風・奄美篇」パーソナリティ、図書出版まろうど社主宰)

 第27回定例研究会が2月1日(水)に大阪市立大学都市研究プラザ西成プラザにおいて開催された。今回は、FMわいわい「南の風・奄美篇」パーソナリティであり図書出版まろうど社主宰の大橋愛由等氏に、「奄美 異化と同化のあらがいーうた<シマウタ・詩>にこめられた“記憶” からさぐるー」というテーマで御発表いただいた。最後に奄美出身の唄者である栄篤志さんにシマウタを3曲(あさがお節、ヨイスラ節、徳之島節)、三線を弾きながらうたってもらった。研究会としては初の試みであったがシマウタがテーマに入っていいたので生の唄をお願いした。参加者20名。

 まず御自身が現在かかわられておられる“FMわいわい”についてお話された後、奄美の話に入られた。
 阪神地域には、奄美にルーツを持つ人が30万人いるといわれている。奄美群島が11万人だからずいぶん多い。現在奄美は鹿児島県に属しているが、これまでナハンユ(1466年-1609年琉球支配)、ヤマトユ(1609年からの薩摩の支配)、そして戦後(1946年-1953年米軍政支配)アメリカユと3回の支配者の変更があり現在に至っている。薩摩藩は、奄美に関しては代官制度を持ち込んで直接支配とし、琉球に関しては行政を首里大府が経営し、薩摩の在番奉行は対外関係を主にするという間接支配を行った。薩摩は琉球での対中国交易での利益確保の為に、奄美を外交的には琉球に属するという意味の「琉球国之内」として取り繕い、奄美にヤマト的な習俗が敷衍していることを薩摩は隠蔽する必要があり、その一環としてヤマト的な二字姓を禁じ、一字姓を名乗るよう指示した。奄美には元(はじめ)・祈(いのり)・栄(さかえ)・清(きよし)などの一字姓が多く見られる。一字姓は藩政時代に砂糖の高額納税者に対して名乗ることを認めた。薩摩藩には城下士-郷士-郷土格という身分秩序があり、奄美の支配層は郷士格に位置づけられてブゲンシャ、ユカリッチュといわれたが、これは経済的に裕福であるとか、琉球時代以来の由緒ある家系であるといった意味である。当初薩摩藩が奄美に対して用意した一字姓は、10個の姓の中から選択するよう示された。その中には秀吉の朝鮮出兵の際に薩摩藩によって連れてこられた朝鮮人(沈壽官)の朴姓も含まれている。一方税金を納めることが出来なくなった農民は、島役人層から借りた債務を支払うための債務奴隷=家人(ヤンチュウ)と呼ばれた。家人は島役人層の所有物であり、その子供はヒザと呼ばれて一生その身分から脱することは不可能であった。こうした薩摩の砂糖納税による支配システムはシマンチュの階層分極化を促すことになった。また薩摩は奄美に対して「砂糖総買入制」を徹底することで、大坂で高値で取引されていた砂糖の売却代金を資金源のひとつとして莫大な藩の借財を返済したばかりか、倒幕のための重要な資金として活用したのである。

 次にシマウタを媒介にして奄美を知るために「カンティメ節」(CD)を聞かせてくれた。奄美のシマウタはうたあしび(遊び)といって参加者が掛け合いで歌いあう。口承文化なので楽譜はない。シマ(集落)ごとにメロディや歌詞にも違いがあり、シマウタの言葉には魂〈歌霊〉が込められているとも信じられている。シマウタとは、シマ(集落)に集積されている人と風土の記憶が開花した生活芸能である。それぞれの集落に歌い踊り継がれている「八月踊り」の歌詞の中から抽出されてシマウタに活用したものや、ノロ・ユタなどの呪言・神口などからも影響を受けて発展してきた。奄美大島や喜界島のシマウタは裏声を多用することが大きな特徴である。「カンティメ節」は“うたぶくろ”といわれる奄美大島の宇検村に伝わるシマウタである。家人のカンティメ(女性)が島役人であるイワカナと身分違いの恋に落ち毎晩のごとく山中で逢い引きを繰り返しウタアシビをする。カンティメの雇い主であるブゲンャの当主もカンティメに目をつけて言い寄ったが、そうしたことがすべて当主夫人にばれてしまい、カンティメに性的拷問を施す。その屈辱に耐えかねてカンティメは自死してしまう。それとは知らずイワカナはその日も二人が出会う場所に行く。そこにカンティメが現れるが、すでに死んでいるのだった、という内容。このカンティメ節は、夕方以降に唄うとカンティメの霊を呼ぶと言われ、宇検村でこの歌をうたう者は今もいないとも言われている。こうして奄美のシマウタは背後に物語をせおって歌われているシマンチュの記憶装置なのである。

 次に、泉芳朗とエメ・セゼール、そし金時鐘を比較して同化と異化を語った。泉芳朗(徳之島出身、詩人、奄美大島日本復帰協議会議長)は、奄美が戦後(1946年)、米軍政下に入って日本から分離された〈=異化された〉ことに対して、〈奄美民族〉という概念を定立することによって、ヤマト民族と同祖であることを唱え、日本に復帰すること〈=同化〉するための運動の先頭にたった。エメ・セゼール(フランスの植民地であったカリブ海マルティニーク島出身、詩人)は1945年終戦後植民地であったマルティニーク島のフランス海外県化法案を起草し、制度的〈同化〉を選択した。しかし同時に自ら黒人であることを積極的に打ち出し〈ネグリチュード(黒人性)〉との概念を打ち出して、フランスからの文化的〈同化〉の圧力に対して距離を置き、〈異化〉の姿勢を透徹しようとした。金時鐘は17歳まで皇民化教育の影響のもと、日本人に〈同化〉していたが、日本の敗戦によって、日本を徹底して〈異化〉することで、アイデンティティを再構築したのだった。
 泉芳朗は同化と異化のゆらぎの中で詩を書いてきた。今も奄美の人々の心のゆらぎとして同化と異化がある。奄美は鹿児島(薩摩)と沖縄(琉球)という強者に挟まれ翻弄されてきて、(行政的に)鹿児島でもあり、(文化的に)沖縄でもある。しかし(文化的・心情的に)鹿児島でもなく、(行政的に)沖縄でもない。奄美はそのゆれの中に存在して文化が出来てきている。その〈同化〉と〈異化〉のはざまと苦悩を理解するための一助としてシマウタがある。

 今回の発表は、奄美におけるシマウタの持つ本質を知るきっかけを与えてくれた。シマウタは奄美の精神的支柱であり、奄美を語るにはシマウタを抜きには語れないということが、今回のご発表で理解できた(文責:岩山)。
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Author:kocoken2009
こりあんコミュニティ研究会は、こりあんコミュニティにおける生活と文化への理解を高めつつ、当該地域コミュニティの再生のあり方について議論しながら、日本国内に限らず共同調査及び研究を行っていくグループです。
問合せ先:kocoken2009@gmail.com

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